teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


感想「最後の忠臣蔵」

 投稿者:  投稿日:2011年 9月23日(金)15時05分3秒
  映画「最後の忠臣蔵」

監督 杉田成道

主演 役所広司 桜庭ななみ 佐藤浩市


【あらすじ】(Wikipediaより)

元禄赤穂事件より16年。

赤穂浪士の生き残り寺坂吉右衛門(佐藤)は大石内蔵助から、「事件の真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助せよ」との命を受け、ようやく最後の遺族を探し出したことで浪士の十七回忌法要が行われる京へ向かう。

その道すがら、寺坂はかつての盟友瀬尾孫左衛門(役所)と再会する。

討ち入り直前で逃亡した瀬尾だが、実は彼もまた大石の隠し子の可音(桜庭ななみ)を守り育てるよう命じられていたのだった。







果たして「最後の忠臣蔵」とは何を意味するのか。

武士の生き方とは、忠義の道とは。

正直、登場人物の心情や行動が理解出来ない点が何ヵ所かありました。

しかし、それは僕が現代人であるからなのだろうなと、「北の国から」の杉田成道演出にねじ伏せらてしまいます。

気がつけばそこかしこのシーンで、うるうると。

16年ぶりの再会で、最初は斬り合いになるものの、全てを理解した寺坂と孫左衛門の、見つめあい涙をこらえ無言でお互いを労う表情に、観てるこっちが先にやられてどうする。

なぜか劇中で随所に挿入される人形浄瑠璃「曽根崎心中」。

実は当の可音は自分を育ててくれた孫佐衛門を親代わり以上に慕っており、一方の孫佐衛門は自分自身の可音への愛情がどういう種類のものであるかについては「使命」の名のもとに向き合おうとはせず、押し殺している。

しかし、可音も自分が大石の娘であることを知ると、武家の娘として浅野家家臣として望まれていることは何かと理解し、孫佐衛門の使命を果たさせるために、豪商茶屋家との縁談を受け入れます。

婚礼の日までに孫佐衛門のために着物を縫おうと、反物を買うところから四苦八苦する可音のいじらしい演技はなかなか。

桜庭ななみという女優さんはほとんど認知がなかったのですが、声を聞いて「サマーウォーズ」のヒロインの声を演じてた人だというのを思い出しました。

演技そのものはそこまで上手くはないと思うのですが、声量が無いのか、張り上げると泣いてるかのように湿ってしまう声が、なんかこう訴えかけて来るのです。

「サマーウォーズ」の「まだ負けてない!」という台詞は耳に残っています。

婚礼の日に、「幼い頃のように抱いてくれ」という可音にまたうるうる。

そして、たった二人の疑似親子の寂しい花嫁道中に、生き残った赤穂浪士達が次々と加わって大行列になっていくシーンは涙涙。

可音の幸せが、赤穂浪士達(生者も死者も)の希望の象徴。

役所は「困惑」や「悩む」といった負の演技が上手いという印象があって、だからこそ「吹っ切れた」表情の対比が鮮やか。

茶屋家の門をくぐる前に自分を振り返った可音に、人垣の後ろの方から晴れやかな顔で頷き「幸せにおなりなさい。」と唇の動きだけで伝えるシーンは、「父から娘へ」の表情としては至高の演技です。

ラストの可音の赤ん坊の頃からを思い出しながら微笑む表情などは、みぞおちに響きました。

可音を送り出した孫左衛門の長かった役目は終わり、逃亡者という汚名も晴れる。

そして、孫左衛門は…。

そうか、これは「精神的な心中」なのか。


不自由で不平等な時代だからこそ、与えられたものや受けた恩にどう報いるのか、何を大切と考えて生きるのか。

それぞれの登場人物達が、現代の損得感覚とは折り合いのつかない理屈で動きます。

現代人の感覚から観ると、どうしても理不尽に思えてしまうもどかしさ。

それでも、それぞれが自らの気持ちを押し殺すその姿が、切なく美しい。

日本人なら共感し涙する名作です。

お薦めです。
 
 

漫画感想

 投稿者:  投稿日:2011年 8月26日(金)07時31分4秒
  「ハチミツとクローバー」全10巻 羽海野チカ


完結後4~5年ぐらいですかね、やっと読みました。

講談社漫画賞他、あれやこれやの賞を受賞。

また映画、ドラマ、アニメ、台湾版ドラマと複数メディア展開されました。

美大に通う若者達がそれぞれ不器用な片思いに悩む恋愛模様と、「芸術」という道を選び「自分は何がしたいのか?」「自分は何が出来るのか?」と迷い探す日々の葛藤を、丁寧な心理描写にコミカルなシーンを織り交ぜて描く青春群像劇です。




【あらすじ】
平凡な美大生の竹本裕太は、エキセントリックな天才・森田忍や要領の良い真山巧らの先輩達と、楽しく大学生活を送っていました。

ある日、大学講師の花本に親戚の新入生、花本はぐみを紹介されます。

人見知りのはぐみでしたが、竹本と森田は同時にはぐみに一目惚れし…。

また真山はアルバイト先の未亡人、原田理花を慕っており、そんな真山のことを想い続けているのが、山田あゆみ。

それぞれの気持ちを抱えながら、限られた日々は過ぎてゆく…。





『「モラトリアムを終わらせたくない登場人物達の物語」を終わらせたくない読者。』という共犯関係に見事にはまってしまい、1日1~2冊のペースでゆっくり大事に読み進めました。

登場人物が不器用ながらも前に進み、物語が終わりに近づいていくのが惜しく、また、丁寧な心理描写を反芻しながら読んでいくと、なかなか一気には進めませんでした。

誰にも彼にも共感し感情移入出来てしまうので、日常の楽しいひとコマの中に詰まった、それぞれの切なさや思いやりや焦りや寂しさなどの色々な感情をなぞってしまい、読むことそのものにかなりのエネルギーを使います。

ですから最終話を読み終えた時には、「学生時代」をもう一度終えたかのような喪失感と寂しさでいっぱいになりました。

そう、読み終えての感想は何よりもまず「寂しい」でした。

感情の大きな起伏に疲労を覚える齢になってきましたが、これは「良い疲労」だなと、そんなことを考えました。

間違いなくお薦めです。
 

映画感想④

 投稿者:  投稿日:2011年 8月17日(水)22時17分43秒
  「ナイト&デイ」

「車でさらわれた女の人が、撃たれて死んだ犯人の代わりにハンドルを握ってカーチェイス」ってのは、よくあるベタなシーンです。

そこにバイクが追いかけてきて、どーんとジャンプしたと思ったら、ボンネットの上に男がドサッと降ってきて白い歯を見せつつニカッと一言「やあ、素敵なドレスだね。」

それがトム・クルーズなんだから、もう言うことあるまい。

スマートで強くて、なによりユーモアを忘れないエージェントのトム・クルーズと、巻き込まれた一般人のキャメロン・ディアスが、新しいエネルギー装置をめぐる争奪戦で北へ南へ。

冒頭5分で「最後はメデタシメデタシ」が約束された映画だというのが雰囲気で分かります。

「奪い合っているモノ」の重要性なんて口で説明するだけ。

絵面を考慮して、乾電池サイズでポッケの中。

重要なのは、ハッピーエンドまでアクションと会話とで観客をいかに楽しませ続けるかだけで、この映画で重要なのは、そんなアイテムじゃないんだよっていう脚本が潔い。

ラストは撃たれて入院したトムを今度はキャメロン・ディアスがさらうという、映画の前半とは逆のシチュエーションで、前半の会話の「天丼」がなされてゆく。

それがなんとも心地よくこそばゆい。

その上、「親・兄弟・友人全てを断ち切って組織に身を捧げたエージェントの哀しみ」まで救ってしまうハッピーエンドなのだから、見事見事。

こういうジャンルの映画をデートムービーというのでしょうな。

そういう意味では、さんま師匠の「いこかもどろか」もしくは、斉藤由貴の「香港パラダイス」に匹敵するデートムービーの快作と言えよう。
 

映画感想③

 投稿者:  投稿日:2011年 8月16日(火)00時14分37秒
編集済
  「あしたのジョー」

伊勢谷の見事なまでに鍛え上げられた姿を動画で見たかった、それだけのはずなのに。

ジャニーズ主演の漫画原作の映画なんてと思っていたら、本気度の高い良い映画でした。

丈と力石を役者二人がちゃんと演じてる。

ボクシングのリアリティーはもちろん、背景のセットや雰囲気も違和感なく、普通に物語に見入ってしまいました。

映画としてかなり良い出来。

たぶん、スタッフやキャストがみんな「あしたのジョー」をちゃんと好きで、それをスクリーンを通して伝えたいというのが、ちゃんとあったんですね。

2が観たいのだけど、説得力をもってカーロス・リベラを演じられる役者が思いつきませんな。






「ランボー 最後の戦場」

何だろう。

この蛇足感。

止めるのも聞かずにミャンマーに連れてけという、いけすかない慈善の連中を助けに行った「ランボーと5人の傭兵の皆さん」と、ミャンマー政府軍の小規模なドンパチを描く。

ていうか、脱げよ、動けよランボー。

ていうか、ミャンマー軍事政権はそのままかい?

とりあえずラストシーンでランボーが故郷の牧場に帰りつくシーンが見られたことだけが良かったなと。

ベトナム戦争が1975年に終わってから、30年以上ですか、お疲れ様でした。

それでも、悪夢にうなされる日々は続くのでしょうね。

 

映画感想②

 投稿者:  投稿日:2011年 8月16日(火)00時10分25秒
編集済
  「アンダルシア 女神の報復」

何だろう「織田裕二」は特別って感じ。

「初めて一生懸命見た月9」に出てた人っていう刷り込みかなあ。

作品自体は安い映画でしたよ。

テレビでやればいいのにって感じで。

でもまあ、織田ちゃん見られたから満足かなあみたいな。

それだけ。

「あー、織田ちゃん見られた。」って満足して帰って、翌日には見たことを忘れている映画。





「踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!」

基本的には「同上」。

だけど、「踊るワールド」が好きだったからこそ、これは「ナシ」。

もっと時間かけて仕事すればよかったのに、何か作り急いだ大人の事情でもあったんかね?

中身のない脚本に、本人達がパロディコントを演じているかのような、軽くて違和感のある演出。

和久さんがいない画面が締まらないというのももちろんある。

なんだかなあ。

やはり「初恋の人は、下っ腹の出たおっさんや、厚塗りのおばさんになる前に夭逝すべき。」なのだよ。

それが、思い出を汚さない方法だなあと。

「作品」としてね。

織田ちゃんは変わらないんだけど・・。





「十三人の刺客」

四十年ぶりのリメイクだそうですが、まあ基本は「七人の侍」型のお話。

R15指定(暴力描写的な意味で)の悪行三昧(ちょっと見ててつらい)の暴君ゴローちゃんを、役所、松方、井原、澤村、伊勢谷、山田、古田、高岡他、腕の立つ十三人でやっつけようというお話。

三百対十三だったけな。(うろ覚え。)

何も考えずに見て楽しい勧善懲悪娯楽時代劇映画。

小難しい映画もいいけど、たまにはこういう痛快時代劇が見たいもので。


武士道を貫いて切腹する小藩の家老の松本さんや、わかっていながらゴローちゃんを守らざるをえない市村さんの葛藤なども悩ましく。

それらを踏まえて、「斬って斬って斬りまくれ!」以後、50分延々バトル。

燃えまくり。

特に松方さんの「斬り・溜め・見得」の美しさや、井原の「あらかじめあちこちに用意しておいた刀を抜いては斬り、抜いては斬り」の格好良さに痺れた。

こういう映画はメイキングも楽しいので、「プレミアムエディション」を探してるのだけど、見つからない。

弱った。





「エクスペンダブルズ」

どこかの国の悪い将軍を倒しに行く元傭兵の「エクスペンダブルズ(使い捨て軍団)」。

実はその将軍の裏にはCIAが暗躍しててとかはまあどうでもよくて、バキューンドカーンだけのドンパチ映画。

「豪華な仲間のいる明るいランボー」。

豪華キャストが何よりの売りだそうで、確かにスタローンとシュワとブルース・ウイルスが同じ画面にいたりするシーンは何だかすごいお得感。

昔の「東映時代劇オールスター」みたいだ。

でも、豪華メンバー全てが仲間になるわけじゃないのね。

シュワとか「この任務は受けられない。」って帰って、登場シーン終わりだからね。

そのおかげでジェット・リーとドルフ・ラングレンの肉弾戦が見れたけど。

総じて、世界一カッコイイハゲのジェイソン・ステイサムが頑張ってたなという印象。

彼はトランスポーターの時もそうだけど、動きにキレがあって良いね。

次回作はまあ出演のメンツ次第ですな。

とか言いながら十分楽しんでたわけですが。

 

映画感想①

 投稿者:  投稿日:2011年 8月16日(火)00時05分57秒
編集済
  ここ最近、DVDやらで見た映画についてつらつらと。



「ヒックとドラゴン」

ドリームワークス社。

見たのは3Dじゃなかったのに、「飛行シーン」がエライ飛翔感。

宮さんや板野さんに勝るとも劣らない。

物語そのものはすごく深い。

昔からドラゴン達は敵。

本当にそうなのか。

中央と周辺と異界をつなげるのは、周辺に追いやられた異端の役目。

そういう物語が子供向けでも増えてくるのは良い事。

ヒックの仕掛けで尻尾を傷つけたドラゴンは、ヒックの尾翼サポートなしでは飛べなくなってしまう。

そんなヒックが最後の戦いで手に入れ、失ったものとは・・・。

ドラゴン達の秘密とは。

フルCGアニメで描く、大スペクタクルファンタジー。

これは大人こそ見るべきです。





「トイストーリー3」

完結編。

「子供が大きくなってしまった時に、おもちゃはどうされるのが一番幸せなのか?」

大学生になり実家を出ていくことになったアンディと、おもちゃ達の別れを描く。

子供向けアニメなのに、「これこそが映画だよ!」と言いたくなりました。

脚本を演出を本気で考えて練って練って、ひとかけらも「子供向けだから」という妥協をせずに、完成させた映画。

全ての登場人物を見捨てることなく、全て拾い、誰もが納得するハッピーエンドを見せてくれた。

ラストシーンが涙でにじむ時に誰もが浮かぶであろう、自らの記憶の中にあった「あの大好きだったおもちゃ達」のこと。

泣かずにはおれるか。

ピクサー社が、「大人の本気の仕事」を見せてくれた。

物語に癒され、その仕事ぶりに励まされ、いたれりつくせり。





「プリンセス・トヨトミ」

架空歴史モノとでも言いましょうか。

大阪には今でも豊臣の末裔を掲げる「大阪国」が秘密裏に存在した、って言っても何が何だかですが。

ネタバレしたくないので、書きにくいのですね。

「その国を維持するシステム」が、なんだかジンときてしまうのですが、来ない人もいるでしょう。

見て損はないです。

「大きなウソのお話」として矛盾点とかを流して見られる人にはとてもお勧め。
 

感想。

 投稿者:  投稿日:2011年 8月 8日(月)21時30分49秒
  「3月のライオン」6巻


【あらすじ】(Wikipediaより)
**********************
東京の下町に1人で暮らす17歳の少年・桐山零。

彼は幼い頃に事故で家族を失い、心に深い傷を負ったまま、将棋のプロ棋士として孤独な生活を送っていた。

そんな零の前に現れたあかり・ひなた・モモの3姉妹。

彼女たちとの交流を深めていくうち、零は失っていたものを少しずつ取り戻していく…。

**********************



6巻では零や二階堂の臨む新人王戦と、友達をかばって自分がいじめられるようになってしまったひなと周りの葛藤を軸に話は進みます。


装丁のオビに「戦いの第6巻」とあります。

これまで自分には将棋しかないと思っていた零が、おそらく初めて誰かの為に将棋を指す。

ひなを守る為の「力」が欲しい、そして病身を燃やすかのように戦い抜いて敗れたライバル二階堂の為にも「勝ちたい」。

不幸な境遇の中、いつも自分の事で精一杯、他人の優しさや寂しさに気がつくことが出来なかった零がそれらに気づき、それらを抱えて新人王戦決勝戦に挑む。

まさに3月のライオン版「破」でした。

将棋にすがりつくために戦ってきたと言いながらも、「潔さ」と「投げやり」を混同してしまうような激情を秘めている零が、二階堂のアドバイスを思い出し、打ちかけた「角」を静かに「歩」に持ち替える。

そしてその結果は…。


何度も何度も読み返しました。

それどころか1巻に戻ってまた読み返しました。

とにかく詰まっている情報量が多く、密度が濃く、登場人物の心情が痛いのです。

作者の高度な技術と思いとが、ギリギリのバランスで融合し表出している稀有な作品だと思います。

あれこれ色んな賞を取るのも当然です。

繰り返しですが、これはお薦めですよ。
 

「キケン」

 投稿者:  投稿日:2011年 6月22日(水)16時53分13秒
  有川浩「キケン」


やられましたよ。

これは「読む側」でしかない僕が唯一「書ける側」に回れるかもしれなかったテーマなのに…、と多くの読者がそう勘違いして歯噛みしたと思います。

しかし、そう思えることは幸せなのだと思います。


成南大学「機械制御研究部」、通称「キケン」の熱くておバカな日々を、OBとなった「今」から振り返って描く。

強烈な先輩に振り回されるばかりだった主人公が、色々な出来事を通してやがて同期達と共に個性を発揮していく。

これもひとつのビルドゥングスロマンというやつです。

何より、普段「キケン」内では常識の下に強力なツッコミ役を演じている主人公が、外部の者の「キケン」の先輩への逆恨みの中傷に対しては一歩も退かないという場面はちょっとヤバイです。

そんな「あの懐かしい日々」が「今」と繋がるラストは、期待通りで胸が詰まります。
(その「表現の仕方」が小説としては全く反則ですが、「作品」としては大成功だと思います。)

と、べた褒めしつつも、この本は有川作品の中で、ブックオフ等の古本屋で見かける率がとても高い気がしています。

これまでの「自衛隊三部作」や「図書館戦争シリーズ」から入った読者には共感性が低く、手離してしまうのかなと勝手に分析しています。

やはり、描かれているのは一般的には共感されにくくなりつつあるテーマなのでしょうか?

でも「ODL者」達にはぜひお薦めですよ。

僕らも間違いなく「キケン」だったのですから。
 

終わらない黄昏と付き合う為に。

 投稿者:  投稿日:2011年 5月30日(月)21時43分48秒
  お久しぶりです。

この約三ヵ月、色々ありましたね。

そして、困ったことも色々進行中ですね。

今回の地震とそれに伴う原発事故で、何も影響を受けなかった人はいません。

もちろん被災・被害の大小はそれこそ天と地ほどの差があるのですが、「個人の体感」からすれば、それぞれなりに「大変だった」わけです。


「それぞれの3.11」・というものがあるのですね。


だからこそ、立場の強い人間が一方的に話す「オレの3.11」が鬱陶しくてしょうがないです。

まともな人々は、ことさらに「あの時、オレは5時間歩いて帰って~」なんて語ることはせずに、「自分より被害の大きかった人々の悲しみ」に心を砕き想いを寄せているのです。

でも、正直それって結構苦しいですよね。

みんながそれぞれ大変だったからこそ、場所さえわきまえれば、その大小を「恥じる」ことなく「それぞれの3.11」を語っても良いのではないかと思います。


地震当日、メーリングリストで続々とみんなの状況が入って来た時、「安否の確認が出来るシステムの素晴らしさ」はもちろんですが、「みんながメールを送り合うこと・送り合うみんながいること」にもっと「尊い何か」を感じた人はたくさんいるはずです。


これからも、更なる未曽有の経験は続きます。

不安の種は尽きません。


それでも「家族」でそれらを分かち合って、乗り越えられてる人達は幸せです。



そうでない人は、いつもの止まり木でいかがですか?
 

「そういうこと考えてるわけ?」ってなっちゃう。

 投稿者:  投稿日:2011年 2月18日(金)22時59分1秒
  「好きな作家」や「好きな小説」(もちろん「マンガ」「映画」でも同じです)を他人に明かすというのは、自分の内面を明かすのに等しく、恥ずかしくまたとてもリスキーです。

だから「人に聞かれた時に答える用」のオシャレ映画やオシャレ小説の需要があるのだと、僕は半ば本気で思っています。

そういう意味では、辻村深月の小説を好き好き言ってるのはリスキーなわけです。

間違いなく。


で、話題は今回の芥川賞です。

名家のお嬢さんの方ではなく。

西村賢太です。

最初はアウトロー気取りのカンチガイがまた一人増えたかと思ったのですが、「私小説しか書けない」というインタビューの全文の内容がなかなか興味深かったのです。

そこで受賞作ではなく、デビュー作「けがれなき酒のへど」を含んだ文庫「暗渠の宿」を読んでみました。

こりゃ「だめ人間」だ。

「アウトロー」ではなく「だめ人間」でした。

考え方とか感情の流れとか行動とか。

でも、その「だめ人間」は僕そのものだと錯覚するぐらい、僕の中にも確実にいます。

そして、他人の中の「だめ人間」を垣間見ることもしばしばです。

「私小説」でここまでむき出しにされたら、「作者自身を投影した登場人物が心のキレイさを見せつける」みたいな欺瞞に満ちた小説は全くかないません。

これは劇薬ですな。

薦めたいけど薦めたくない。
 

レンタル掲示板
/73